ひき続き、動画の紹介とおもったこと。

その1
その2

(追記:2017年6月23日 動画が削除されたので、リンクを外しました)


「耳から聞くことが苦手」

耳から聞くことはほんとうに苦手。

今では集中して聞けばわりと大丈夫だけれど、子どものころはひどかった。

音として聞こえてはいるものの、意味のある言葉として認識できなかった。

だから、小学生のころの全校集会での校長先生の話とか、きちんと理解したことがなかったと思う。

耳から聞くのが苦手なうえに、なにを言っているかわからないと集中力が切れてじぶんの世界に入っていってしまう。

伝言ゲームでもなにを言われているのかわからなくて、つぎのひとに伝えられなかったこともある。

授業は黒板や教科書があり、耳から入る先生の言葉だけではないので、それほど困らなかった。



ほかに困ったのは、席がとなりになった人の言葉が理解できなかったこと。

授業中、ちいさな声で雑談したりすると思うのだけれど、その彼の言葉はとくに小さくてこごもっていた。

2、3回聞き直しても、まったくなにを言っているのかわからない。

しかたがないので、あいまいに笑ってごまかしていたら、席替えのときに「いままでずっと、わかってないのに返事してたでしょ」と言われた。



こういうことがあって、当時のわたしは耳が悪いのだと思っていた。

だから耳鼻科に行ったこともある。

検査の結果は異常なし。

それはそうだ、「音」は聞こえるのだもの。

それを「ことば」として意味のあるものとして脳に伝える部分に問題があるのだと思う。




成長するにつれて、いろいろな人と話をするようになって、1対1の日常会話は困らない程度にはなってきた。

けれど、討論のような、論理的に話し合うようなことはあいかわらず苦手。

相手の言っていることがもやもやして、結局相手がなにを言いたいのかがわからなくなるから。

それと同時にじぶんの考えも頭のなかでまとまらなくて、きちんとしたことを言えない。

相手が2人以上になるとさらに困難になる。

ひとりの声を聞いていると、もうひとりの声が耳に入らない。

もしくは音どうしがぶつかって、どちらの声もただの音にしか聞こえなくなる。



これは今の仕事でも困ることがある。

電話の相手と話しているのに、となりでひとが話していると、電話している相手の声を見失う。

どう対処していいのかわからないので、とにかくひたすら受話器に集中するしかない。



あとは、「朝まで生テレビ」のような討論番組。

一人ひとりが順番に話してくれればいいのだけれど、ちょっと議論がさかんになると複数のひとが同時にしゃべりだす。

そうなると、もう、ただのノイズ。うるさくて苦痛。

旦那さんはわりと聞きわけられると言っていたので、やっぱりわたしの特性だとおもう。



そんなかんじで、耳から聞くことで困ることは、次から次へと出てくる。

この特性はけっこう不便だと思っている。






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