その1
その2
その3
その4
その5



入院して約3週間。

退院したいと言い続けたところ、先生も家族も了承してくれました。

入院のきっかけになった薬の悪影響は収まったものの、わたしの根本的なところは何も解決していません。



先生からは、森田療法の施設への入所を勧められました。

わたしのことが手に負えなくなり、途方にくれていた家族も同じように勧めてきました。

藁にもすがる思いだったのだと思います。



しかし、施設への入所は6ヶ月。

3週間の入院すら我慢できなかったわたしが、そんなにも長い期間を過ごすことはとても想像できませんでした。


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また、実家や病院での生活を通して、わたしを本当に理解してくれるのは彼だけだということもわかりました。

家族は、わたしを愛し心配してくれるのですが、どうしても彼らのエゴが前面に出てくるので、

それに応えられないわたしはとても苦しい思いをすることになります。

彼は、わたしのあるがままを受け止めてくれるので、ギャップに苦しまずに済みます。

入所を渋っていたわたしに、両親や妹、総がかりで説得してきます。

今までのわたしなら、抵抗したり説得することが面倒になり、言われるがままに従っていたと思います。

また、大事な局面や困った時は自分で責任を負わずに済むように、いつも親のいいなりでした。

そうやって自分で決断してこなかったことで、逃げ癖みたいなのもあったと思います。

ですが、このときばかりは断固として拒否しました。

彼と一緒に住んでいた家に戻り、改めて治療をすると決めました。



親の言うことを聞かないというのは、とても怖いことでした。

しかし、これがわたしにとって精神的な親離れと自立の一歩になったと思います。

この後も親との関係にはずいぶん悩まされるのですが、この一件があり、

親と自分は別人格だと認識できるようになりました。



退院が決まり、その後の治療計画が先生から渡されました。

「思いつきで行動しないように」

今でこそ言わんとしていることはわかりますが、当時のわたしは「なんじゃこりゃ」でした。

他にも、「自分の将来を自分で決める。そのためにはしっかり考えるという、深い考え方をするように」とありました。

これまでずっと未来を描けず、刹那的に生きてきたわたしには意味がよくわかりませんでした。

それよりも、この苦しい状態がすぐにでも良くなる、魔法のような言葉がほしいと思っていました。

そういう考えこそが自分を苦しめていたと、10年以上経った今ならわかります。







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