その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
その10


その年は、引きこもったまま終わりました。

年末年始も、彼と一緒に過ごしたと思うのですが、やはり覚えていません。



そして、年が明けてしばらく経った頃。

ようやく動きたいと思えるようになりました。



昨年の夏のデイケアは通うことができなかったけれど、

他にも何かあれば行ってみたいと先生に話しました。



先生は、また別のデイケアを紹介してくれました。

こちらは週に3日、時間も確か4〜5時間でした。

以前のデイケアに比べ、時間も日数も少なかったです。

また、当時始まったばかりのデイケアだったため利用者も数名でした。



そんなところがうまくハマったのか、こちらのデイケアはちゃんと通うことができました。

内容は以前と同じような感じでした。

体操、料理、工作、絵画、外出、SSTなど。



このデイケアに通って良かったところを挙げてみます。
  • 人数が少ないのでグループもなく、皆とちょうどいい感じで親しくなれた

  • 他の利用者と話すことで、自分の興味が広がった

  • 外の世界との繋がりができ、社会復帰をしたいと思えるようになった

  • 人数が少ないので、スタッフへの相談が気軽にできた

  • SSTや就労支援が実用的だった

  • 歩いて通うことで、気がついたら体重が減っていた


そういったところに助けられ、ようやく少しずつ動けるようになりました。

この頃には、入院してから1年くらい経っています。



そして元気になってきたわたしは、少しでも働いてみたいと思うようになりました。

体調を崩していたこと、長時間働けないことを理解してもらった会社でパートをするようになりました。

パートが休みの日は、なるべくデイケアにも顔を出しました。

まだ社会でやっていく自信がなかったので、デイケアという安心できる場所と繋がっていたかったのです。

そうして数ヶ月はパートとデイケアに通っていましたが、パートの時間が増えるようになってデイケアは行かなくなりました。

そこのデイケアでは就労した人に向けたナイトケアがあり、そこにも数回顔を出しました。

けれども、ナイトケアに通う人たちは発達障害の特性はあっても、一般企業でフルタイムで働けるような方ばかりでした。

気後れして、うまく馴染むことができませんでした。



デイケア、ナイトケアへは行かなくなりましたが、通院と服薬は続けました。

パートも、地方に引っ越すまで5年ほど働きました。

その間、体調は良くなったり悪くなったり。

調子のいい時期もありましたが、数ヶ月間ひどいうつに悩まされることもありました。

それでもパート先は理解があり、体調を見ながら働くことができました。



この頃には、以前の友人に再び連絡を取れるようになりました。

こうやって少しずつ社会性を取り戻し、わたしの「さいあくのうつ」は緩やかに終わりを告げました。



とはいえ、その後も体調はずっと波を描いています。

地方に引っ越して数年、またひどいうつ状態になりました。

それがこのブログを始めたきっかけです。

それを経てこの1〜2年、ようやくうつは治ってきたかもしれないと思っています。



11回にわたる長い話になってしまいました。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

1回目の話を更新した頃は、うつがひどい状態のときでした。

そのときは、2年半後の自分が回復しているなんて想像もできませんでした。

むしろ「どうせ、一生うつのままなんだ」というふてくされた気もちでした。

2年半の間に思いもよらない方向へ進み、今こうしてここにいます。

自分を変えられるのは、自分だけなんだと改めて思います。







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